親に甘えてきた22歳の筆者が「同棲」することで得た気づき

2020年7月24日

このエッセイは、同棲(=初めて親から離れて暮らす)をして得た大切な気づきをシェアするために書いたものです。前半は同棲に至るまでの親との関係構築の物語、後半は同棲のその後と気づき、のパートに分かれていますので、「親に甘えてきた大学生の奮闘記録」として気軽に読んでみてください。

【前編】同棲を始めるまで。

多くの日本の若者は、進学、留学、就職を機に、いずれは親元を離れて暮らすタイミングを迎える。

親が忙しかったり、家にいなかったりでほとんど自分で切り盛りしてきた、という人もいる中、

炊事、洗濯などの家事を何かと親に任せてしまってきた人も多いだろう。

私もそのうちの一人であった。今まで勉強と部活で忙しいのをいいことに、親に甘え、ろくに

家事をしてこなかった。 堂々と言うが、 22歳にもなって、野菜の切り方すらろくに知らなかった。

いまだに、ごみの回収日も空で言えない。そんな私が、大学の途中で、親元を離れて暮らすことを

決心し、一般的にみて健全といえる生活を保つために、初めてまともに家事に直面したのである。

恥ずかしいも何も、ついに直面する時がやってきた、という感じだった。

料理など中学生の時から普通にしていたらしく、今はレシピなど見ずに多国籍な料理をささっと作ってしまう親を持つ私は、果たして料理ができるのだろうか?

忙しいことを理由に家事から避けてきたゆるみきった精神は叩き直されるのだろうか?

不安を抱えながらも、親元を離れて暮らし始めてはや6か月、学んだことが多かった。それを今回はここでシェアしていこうと思う。

離れて暮らす前。親との関係構築について。

私は、一生反抗期と親から言われ続けてきたほど、小学生の時から文句が多い、言うことを聞かない、親を怒らせる子供だった。それは思春期の終わりに入る高校生になっても変わらなかった。大学受験期に不安からくる体の不調を訴え、何かおかしいから検査に連れて行っていかなきゃだめだ、と母親がノイローゼにかかりそうになるまで複数の病院に連れまわし、追い込んだ。

文句を言えば、望むものを言えば、粘れば、ごねれば、最終的にはそれを与えてくれる。

私は永遠にそう考えていたのだと思う。そう、私は18にもなってまだ、親に甘えていた。

冒頭でも述べたように、「大事だとわかっていても」「親に任せきりなんて情けないと感じていても」結局は甘えて、家事もしなかった。

私の母親は基本的に平日は仕事で忙しく、幼小中高と祖父母に面倒を見てもらっていたため、「親子の時間」が発生するのは基本的に土日か、母親が休みをとった時の家族旅行の時間だった。ちなみに父親はというと、旅行が好きではないし、自分を何かと忙しくすることが大得意な人で、子供との時間は、忙しいルーティンの中の一環、という感じであった。父親との時間といえば、ドラクエという(素晴らしき)ソフトを教えてもらった、くらいで、特に何かを一緒にした、家庭の時間に父親がいた、という感じではなかった。

ただでさえ母親と過ごす時間が少ない日課に加え、私は小さい時からずっと、母親に「ねえねえ、今日○○ちゃんと遊んでね、○○だったよ!」というような、明るい当たり前の会話をしなかった。

なんて言ったらいいんだろう。説明したら、お母さんはどんな反応をするだろうか。 なんか恥ずかしい。

どうせ、「ふーん。」で終わりなんだろう。 で、後から、

「あんたは学校であったこととか何も話さないよね、近所の○○ちゃんなんてあったこと何でも話すって言ってるよ。お母さん何も知らないで恥ずかしいんだけど。」とか言うんだ。

お母さんだって、友達との旅行から帰ってきたって、何も感想とか共有しないじゃんか。

聞いたって、「別にー。でもあそこは温泉はやっぱいいね!」くらいの短文で終わるんだ。

私は自分が積極的に母親に話しかけるという点において小さい時からすでに、妙にひねくれて、遠慮をしてしまっていた。私の母親は、私が何を言っても、成績がすこぶるよくても、書いた絵が市の展覧会に掲示されても、褒めの言葉を発することはほとんどなかった。というより、興味や熱をかたむけて聞いているようには思えなかった。

内心では、すごく嬉しいのかもしれない。誰かに自慢したくてしょうがないのかもしれない。

実際、すごく喜んでいるなんて、実はわかってた。絵が市の展覧会に掲示されるたびに、高いビュッフェレストランに、親戚みんなで食べに行った。中学生のときに海外派遣の学校代表に選ばれたときは、特に私には何も言わなかったものの、表情がぱっと輝いたのを私は見逃さなかった。高校の時だって、バスケットボールをしていて監督に褒められるのをみると、部員の母親たちのグループLINEで、自信を持ったように、発言がなんとなく弾み調子になるのも、知っていた。口だけうまくて、人をおだてて自分は何もしないという人は、最終的に信頼を失うけれども、小さい私にとっては、そんな行動で示されるよりなによりも、受け入れてくれる、褒めてくれる言葉が欲しかった。だって、まず受け止めてもらえなかったら、私の高揚感は、自信は、一気にしぼんでしまうじゃないか。

そんなこんなで、私は親から承認を得るのをいつの間にかあきらめ、自分の所属する場所で、相対的に、社会的に見たら称賛されるようなことを達成しても、別にすごくないし、と自分を卑下し、他人からの承認、賞賛をもらったときだけ、最高に満たされたと思えるようになった。もともとの性格が目立ちたがり屋ということもあったが、目立つこと、社会的によいとされるようなことは何だって完璧にこなしてきた。

私は、自分を認めてもらおうとあがいていた。親がだめなら、周りのみんなから。

でもそんな承認欲求はいつまでも満たされつづけるはずはなかった。自分が認められたり、功績を残すときは、一般的に相対的な評価が多いからだ。「誰よりも」努力した結果が結ばれて、期末試験が、学年の生徒400人中、1位だった。功績が認められて「みんなの前で」「一人だけ」表彰された。部活で「誰もが音を上げるような」練習を耐え抜き、マラソン大会で一位になった。

全部、「相対的に」優れているから、認められ、それが「私は重要だ」、「みんなの注目を集められる地位にいるから、これからものけ者にされることはない」と承認欲求を満たすことにつながり、自分を安心させる。横並びの高校まではそれが通用するけれども、大学では勝手が違った。

大学生であることの孤独

私たちは、大学生のうちに、社会的には大人と認められる年になる。もちろん、大人の定義はいろいろあるが、精神年齢を考えても、大学という基本自由にしたいことができる場所にいることを考えても、大学生はどの学年にしろ大人だろう。「親の教育に注いだ時間とお金のおかけで」小中高大(そこそこの私立大)というまあ、一般就職はほぼ確定のコースを歩むことになった私は、大学にいくことに大きな意味を感じていなかった。「高校としては行くことが当たり前だし、ほかにやることもないし」くらい。アメリカの大学生なんかは、多額の借金をして大学で真剣に学びに行くのに、日本の高校生は意外と、いったほうが就職に有利、という考えで親のお金で大学へ進学する人はかなり多いはずだ。高校の三年間は、ある程度決められたコースにしたがっておけばいい。退学という措置もあるので、できることは限られている。しかし大学では、自分の意志で、どんな将来を歩みたいから、何をするということをある程度考えて過ごさなければならない。なぜって、可能性は無限大で、起業するもの、休学して海外で暮らすもの、バックパッカーになるもの、はたまたインターンやバイトに明け暮れるもの、、多種多様の過ごし方ができるのからだ。だから、自分の帰属する場所を見つけるのは、難しくもあり、楽しくもある。私は、前に述べたように承認欲求が強く、極度の目立ちたがり屋であったため、大学生活はかなり迷走した。大学生でしかできないことは一通りやってみた。ボランティアもした。海外留学もした。インターンもした。サークルにも所属した。バイトに明け暮れた日々も体験した。就活も人並みに頑張ってみた。しかし、どれも長く続かなかった。全部かじってみて、その味に飽きて、投げ捨てた感じ。

どうして私は何をするにも続かないのだろうか。周りに認められなかったからか?私は仕事ができないほうではなかったし、そこそこほめられはしてきた。だからそれが原因ではなかった。おそらく、「これをやってみたい」「ここで自分が認められたい」と衝動的に行動しすぎて、自分の欲望が一瞬でも満たされると、そこにいる意義を感じずやめてしまう性格になってしまったのだ。

と思っていた。

しかし、それは違った。

アメリカでのこじらせライフ

私は、大学を一年間休学してアメリカでホームステイをしていた。それは、その時に起きた出来事。アメリカでの夏、私は恋に落ちたのだ。人生で初めての一目ぼれだった。その彼とは運命の赤い糸で吸い寄せられるように、(そうと信じたかったのだが)お互い恋に落ちていった。大学では、五つやりたいことがあったら、最高でも三つしか両立できないという。私は、海外での生活ということで確かに多くのことを両立させてやっていたと思うが、すべての根源は、恋の力にあった。これほどまでに、生きることに活力を感じた日々はなかった。毎日が幸せで、「彼がいるから頑張ろう」となれた。「私にいつも寄り添ってくれる人」がいることが、私に最高の安心感と幸福感を与えた。彼だけに認められればよかったから、ホストファミリーとの時間をおろそかにした。

小さいころ、父親に十分に愛情を注がれなかった女の子は、恋愛で依存体質である、悪い男にひっかかってしまう、というが、養育環境が原因なのか。いまだに自分を認めてあげられない自尊心の低さが、自分の価値を認めてくれる人から離れられない原因なのか。原因はとにかく、私の人生は、この恋愛体験をきっかけに、私の生き方が変わった。

常に私の存在を必要としてくれることを示してくれる人がいること、が必須になってしまった。相手のために何をしてあげられるかを考えるのではなく、相手がどれだけ自分を幸せにできるかを考える。自分勝手な恋愛をするようになった。自分のためにしてくれる相手にまかせっきりの、怠惰な性格もあいまって「愛される存在」にはなれるはずもなかった。(愛される存在とは、先の見えない人生を頑張って生きる人間に癒しをくれる存在のことだと思っている。いくら美貌を持っていても、生活程度がひどかったり、家庭の維持ができないなら、それは愛されるわけが、、ない。)そんな矢先、私がアメリカの彼氏と別れてから付き合い始めた男性と同棲をすることになった。彼女として。ルームメイトとして。ということは、生活費を払う責任を私も負い、家事を「しなくてはいけない」ということ。21歳まで、家事はすべて親にまかせっきり(本気でこんな大学生どこかにいるのだろうか。。私があまりにも親に甘えすぎだったとわかり情けない。)の私の、かなり遅い「独り立ち」がはじまったのである。

【後編 】 同棲開始。