なぜ今、英語を学習する必要があるのか?~翻訳機が永遠に到達できない生身のコミュニケーション~

2020年7月24日

グーグル翻訳、poketalk など、どんどん翻訳、通訳が進化していく現代。機械が意味を教えてくれるなら、言語なんて学ぶ必要がないじゃないか、と考えている人たちへ、ぜひ、この記事を読んで、言語を学ぶことの意味を考え直してほしい。4つの観点から述べているので、興味があるタイトルだけでも読んでもらえればうれしい。

1.学生だから感じた、ビジネスのカタカナ英語を理解するということ。

先日、Business Insider Japan 2020 というミレニアル世代向けのビジネスイベントに参加してきた。日本を代表するイノベーターや起業家の話を大真面目に聞く中で、あることに気づかざるを得なかった。日本語のイベントのはずなのに、聞き取れない言葉がある!

「うちの会社はクレドでこう言っているんですが、、、」

クレドを社員に浸透しているかということが、、、」

クレドって何?」・・・。一瞬話を見失ったと思ったが、ゆっくり頭の中で反芻してみると、クレド=Credo (信条)だと気づいた。信じられなかった。どうして日系の企業の方なのに、わざわざ英語を使っているんだろう?今回のイベントのみで起きたことではなかった。電車広告、駅内の広告をちらと見たら、とあるIT企業が、「アジャイルなネットワークを広めるために」と宣伝をしていた。
「アジャイル」。ああ, agileのことか。かつてアメリカ人に、「君の動きはagile」だね。なんて言われたのをふと思い出した。それが、今はビジネスで普通に使われるようになっているなんて。

グローバル化を初めとして、ダイバーシティ、インクルージョン、サスティナビリティなど、ビジネスの世界はカタカナ英語であふれている。「ファーストプリンシパルシンキング」(first principle thinking) という、カタカナ語に直したらめちゃくちゃ長いイーロン・マスクの理論だって、すべてカタカナに変換されて、普通にビジネス界の人には伝わっている!そして、それが学生向けの説明会やイベントで普通に使われている。今やグローバル化という言葉を知らない学生なんていないように、長年使われ続ければ何も違和感のないように聞こえるカタカナ言葉も、初めて聞いたら意味が分からない。そして、カタカナ語はこれからも増え続ける。外資がもっと入ってきたり、企業の「グローバル化」が進むにつれて。

この経験からあることに気づいた。英語の概念が日本語に訳されずカタカナ語になるのは、日本語で訳しきれずに、意味が変わってしまうからだ。原語のほうが、いいたいことが伝わるので、わざわざ訳す必要もない。
もしそうなら、そのカタカナ語を本当に理解するには、原語を知っている必要があるのではないか?
ただ意味を知っていることだけでは不十分で、元の言語で、どんな背景で生まれたのか。どんな文脈で使われるのかということも。なぜかというと、さくらインターネットの田中社長がおっしゃっていたのだが、「使う「ツール」(言語)が会社の文化を形成していく」からだ。だから、原語でカタカナ語を理解することは、そのカタカナ語の元の言語が話される文化の中で生まれた企業を本当に理解することにつながり、その企業を理解することは、パートナーとして働くために欠かせない。そのため、多くのビジネス用語は英語からくるが、英語を勉強して知識として持っておくことは、ビジネスセンスを磨き、新しい文化やコンセプトを受け入れる受容性と柔軟性を身に着けることになるのではないかと考えている。とくに学生として、今後ビジネスの世界に飛び込んでいくなら、「言葉を離されている現地の文脈で理解し、原語のまま理解する」ことは、大変大事になっていくに違いない。

2. 言語が変われば、考え方も変わる。

 
1960年代に、心理言語学者のパイオニアである Susan Ervin-Trippが、日英バイリンガルの女性に実験を行った。それは、  “When my wishes conflict with my family…” (自分がこうであってほしいと思うことで家族と対立したら・・・)と “Real friends should…”, (本当の友達なら・・・)で文を始めて、日本語バージョンと英語バージョンで文章を作るという実験だった。驚くことに、初めの文章に関しては、日本語では「大変気分が悪かったです。」で締めくくっていて、英語では「私は自分がしたいことをするまでです」で締めくくっていた。そして、二番目の文章に関しては、日本語では「助け合うものです」、英語では「率直であることが大事です」と締めくくっていた。このように、同じ人でも、考え方がそもそも変わってくるため、同じ状況を与えられたときにその状況をどうとらえるかも変わる。それにしても、日本語と英語では状況のとらえ方が天と地の差である。日本語では真摯に重く受け止めるのに対し、英語では個人主義で、オープンな感じが読み取れる。


また、 Athanasopoulos と彼の研究仲間たちは、言語が人々の物の見方をどれくらい変えるかについて実験を行った。ある実験では、英語話者とドイツ語話者に、人がモノに向かって進んでいくビデオを見せさせ、お互いがどう説明するかを調べた。すると、英語話者は「女性が歩いている」などとシーンや行動に注目するのに対し、ドイツ語話者は「女性が車に向かって歩いている」や「男性がスーパーに向かって自転車をこいでいる」などとその先の目標を含んだ描写の仕方をしているという違いがみられたという。

以上の実験から、 心理言語学者 Susan Ervin-Tripp は、「人間の思考は言語を使用するマインドセットの中で形成されるので、バイリンガルは、それぞれの言語ごとに異なるマインドセットを持っている。そのため多くのバイリンガルは自分が普段使わないほうの言語を話すと、違う自分のように感じる。」と結論付けている。
参考:https://mosaicscience.com/bilingual-brains/

つまり、人は明らかに同じ状況を体験しても、言語が違えば、見方も考え方も違うということだ。例えば、英語ネイティブの方が英語で日本人に話しかけるといったときに、日本語を英語に訳して理解するというプロセスの中で起きる原語とのニュアンスの違いは、いくら翻訳機があったとしても、決して拾うことはできない。むしろ、言ったことを訳しているだけでは、意味は通じても、話者の間で考えの溝が広がり、理解するどころか、誤解や対立を引き起こす可能性だってある。逆に、とある言語を勉強してわかっているつもりでも、ネイティブの方と同じ「マインドセット」に至らなかったり言葉が使われる文脈を知らなくて、失礼になったり常識知らずとして白い目で見られる、というイタイ経験もよく聞く。

だから、私たちが日本語以外の言語で話しかけられたら、日本語に訳すという手段は、言っていることの意味を理解するのには役に立つが、その話者の本当の意味を理解することはできないと思っている。

3.あなたがもし二つの言語を操れたなら。バイリンガルの魅力。

ここで、視点を変えて、あなたがもし「二つ(以上)の言語を操れたなら」と仮定して、そのメリットを紹介していきたいと思っている。これを知ったら、あなたも言語なんて翻訳すればいいじゃない、という考えが変わるかもしれない。純粋に、バイリンガルやはりかっこよく聞こえるし、実はかっこいいだけじゃなかったのだ。

さて、2章でも書いたが、 Athanasopoulos という学者の実験群により、バイリンガルの脳内で起こっている現象がより明確になった。彼によると、バイリンガルは、脳内で常に「どちらの言語を使うか」の葛藤と戦っているため、自分の思考を一度ブロックして相手に気持ちをよせることが得意で、認知と社会的スキルの面で大変優れているそうだ。神経心理学者の Jubin Abutalebi は、 その葛藤によって、常にバイリンガルは脳を鍛えていると述べている。
参考:https://mosaicscience.com/bilingual-brains/

それだけではなく、二つの言語を話せることは、いろいろなメリットがある。

このように、バイリンガルには、素晴らしいメリットがある。知的にも、健康的にも。
だからもし、時間があるなら、翻訳機なんかに頼るのでなく、とことん新しい言語を極めてみるというのも、新しい展望が開けるのかもしれない。私自身バイリンガルだが、英語を極めてというもの、いいことしかない。どうやって勉強したかなど、質問やコメントがあったら、ぜひコメント欄にいただきたい。

4.最後に。もっともシンプルだけど大事なこと。

いろいろと科学的視点だったりビジネスに結び付けたりしてみたが、複雑に考えるよりも大事なことがあると思っている。

それは、「生身の人間であれ」ということである。私たちを感動させるもの、動かすもの、それって機械ではなく、機械を使った先にあったり、ときには機械がいらなかったりする。人と話すことに、機械は本当はいらない。訳された言葉で、相手の言ってることを即座に理解できれば嬉しい。だけど、知らない言語を勉強して、理解できたとき、それは楽しいに変わる。「便利は嬉しい。不便は楽しい。」のだ。(大学の講義で教授が言ってらっしゃった。)

異なるバックグラウンドや、宗教、地域性によって、そして言語によって人の思考や前提は変わるが、「相手を理解しよう」という気持ちはだれでも持てるものだし、純粋で美しい、人間らしい感情である。実際、その気持ちが政治の世界であれ、宗教の世界であれ、関係を変える第一歩である。
そんな人と人をつなぐ気持ちを、言語という壁があるからと言って、機械にとってかわられたくない。私は、そこに焦りを感じている。

少しでも、知らない言語を勉強するというのは、究極的には、人を人として理解することに、大切だと思う。機械は便利だけれども、それによって大切なことを見失うことのないように心掛けたいものだ。

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Posted by Eri