あなたはなぜ生きるか

2019年12月4日

こういったタイトルを書いておきながらも、私はまだ自分が生きる理由を見つけられていない。

幼い時から生きる考え続けているが、もしかしたら一生かかっても見つからないのかもしれない。

まだ22歳、私と同年代だがアメリカの友達で、今年インテルにエンジニアとして就職したスーパーエリートの彼は、

「自分が生まれてきたときより世界を少しでもよくするのが僕の使命だ」とすました顔で言う。

私は彼の答えに感心するが、同じようには考えられない。

結局、人間は自分が一番納得できる答えがほしい。

自分で出した答えは、悩んでいるときの指針になるからだ。

何かに悩むたび、不安になるたび、この不安は、悩みはなんのためだろうと考える。

正直何事も考え始めたらきりがない。

生きる意味は何かという質問に答えがあるなら、その答えを聞いて人生が良くなるのだろうか。

生きる意味がなかったとしても、それは嘆き悲しむことだろうか。

高橋優の「この素晴らしき日常」

という歌詞に、こんなのがある。

「ぼくらが生まれたことに理由なんてあってもなくてもいい

何にしたって呼吸し脈うってる

あそこの人もこの人もおんなじことのときを」

そして「愛」を持って目の前の大切な人を大切にしていけば、

この世界は生まれた意味がないにしてもまだ捨てたものじゃないと訴える。

ささいなことで悩んだ時は、彼の人生を相対化してとらえる大きなものの見方に何度も救われてきた。

彼が彼の作品で日本の人口1億2000万人強の中の私一人を救ったように、

はじめは自分の救済のために書き始めたという理由が大きかったこのブログも、読者を助けることができるかもしれない。

補足になるが、ベストセラー作家のディーン・R・クーンツは、著作「ベストセラー小説の書き方」 

で小説は自分を見つけるために書き始めたと述べている。それが今では世界中の人々を魅了できる影響力となっている。

さて、本題に入ろう。

生きていてよかったと思える瞬間に出会うために生きる。

これは、もし生きることに意味がなかったとしても言える一つの答えだと思う。

私たちは、自分の意志と行動でその瞬間を作り出し、対面することができる。

どんなに最悪なことがあってしばらくは立ち直れなくても、少しでも自分から行動をおこせば、

次の瞬間には、すこしでも気分が軽くなるようなことが起きるかもしれない。

その出来事は何でもいい。人によって幸せを感じる対象は違う。

私は、トンネルの向こう側の見えない、何のためにしているかわからなかった英語も、

友や知り合った人と英語で議論を交わしあい、笑いあえたときに勉強した結果

生きていてよかったと思えた瞬間に出会えた。

あるいは、プレゼンテーションをしているとき、楽しくて仕方がなく、どんなに短い瞬間でも

生きる喜びにつながる充実感を感じる。

これらはほんとに些細なことかもしれない。

でもそれらの瞬間は本当になんだっていい。

でも、自分を最高に幸せにするもの、瞬間を知っていればいるほど

絶対もっと生きていて楽しい。

重大な責任が常に肩に乗っている、多くの人に影響が及ぶようなミスをしてしまった、

毎日お金のことを考えなくてはいけない、など追い込まれた状況にたったことはまだない

けれども、自分をより生きてよかったと思える瞬間に出会える回数の多い場所に

身をおいて、毎日を過ごしていけば、もしかしたら人生は悪くないのかもしれない。